国際弁護士としての仕事
岡田 次弘 さん
第2期修了生
ベーカー&マッケンジー法律事務所(外国法共同事業) 弁護士
ご経歴
2005年 神戸大学法学部卒業
2007年 神戸大学法学研究科(J.D.)修了
2008年 東京弁護士会弁護士登録
2014年 ワシントン大学ロースクール(Intellectual Property Law and Policy Graduate Program LL.M.)修了
2015年 ニューヨーク州弁護士登録
社団法人日本国際知的財産保護協会(AIPPI)会員
東京弁護士会国際委員会委員
法曹を目指し、ロースクールに入学した経緯を教えてください
高校生の頃、バンクーバーに2週間ほどホームステイに行きました。それまでは、海外経験もほとんどなく、英語を受験の道具としてしか使うことはなかったのですが、ホームステイを通じて、コミュニケーションツールとして英語が実際に使われているということを実感し、英語をもっと勉強したいという思いを強くしました。高校の進路選択で文系を選択したのもそれが主な理由で、今思えばその頃はまだ弁護士に対する漠然とした憧れしか持っていなかったと思います。
弁護士という職業をより具体的に志すようになったのは、神戸大学の法学部に進学後のことでした。1年生のときに馬場健一教授の授業でロースクール制度が創設されることを知りました。プロセスで能力を養うというロースクール制度の理念や、単に試験のための勉強にとどまらない幅広い勉強ができるということを聞き、そこで学んでみたいと思うようになりました。
また、同じ授業で国際的な法律業務を扱える弁護士、いわゆる国際弁護士の日本人が足りないということを聞いたことも、弁護士を自分の将来と結びつける大きなきっかけになりました。自分がこれまで勉強してきた英語とこれから勉強する法律を活かし、仕事に結び付けられることが非常に魅力的に感じました。
神戸大学で学んだことの中で印象に残っていることの一つに、窪田充実教授の、「『かわいそう法学』はやめてください。」というお話があります。これは、価値判断だけに基づいた結論の出し方ではなく、法律の規範にのっとって結論を出すべきである、というメッセージだと理解しています。互いの価値判断を主張しあうだけでは物事を解決できない、法律はその主張に根拠を与えてくれるという点で、法律の勉強は面白いなと思うとともに、自分の性格にあっているなと思いました。
大学3年生から司法試験の勉強を本格的に開始し、卒業後、ロースクールに入学しました。
東京の外資系事務所を選ばれた理由を教えてください
私は生まれも育ちも滋賀県で、東京での就職を最初から希望していたわけではありませんでした。私が東京での仕事を意識するようなったのは、3Lのときに参加した、ある外資系法律事務所でのサマージョブでした。ロースクールの自習棟にサマージョブの案内が置いてあったのを目にして応募し、参加する機会を頂いたのでした。サマージョブでは、外国人の弁護士が身近にいる環境で、現実にクライアントが相談している渉外案件に触れるという経験をさせてもらいました。私はその時にはすでに、国際的に法律業務を扱う弁護士を目指していたものの、そういった弁護士の仕事の現場を見たことはなかったのですが、実際にそのような業務を多数扱っている事務所でのサマージョブを通じ、自分の目指している職業のイメージがより具体的になりました。3Lの夏休みという司法試験の近づいてくる時期に1週間近くLSを離れることには若干のためらいもありましたが、その後の勉強のモチベーションも格段に上がったことを考えると、参加して本当に良かったと思っています。
司法試験終了後には大阪の法律事務所でも同様の機会を頂き、渉外案件も含めた様々な法律分野にわたる業務を幅広く経験させていただきました。そのような環境にも非常に魅力を感じたのですが、国際的な法律業務を専門的に取り扱いたいという思いが消えることはなく、就職活動においてもその点を常に考え、より多くの渉外案件を扱っている事務所を希望し、その結果が東京で外資系の法律事務所を中心とした就職活動でした。
その中で今の所属事務所を希望したのは、一つの事務所として同じ組織の中に国外のネットワークを持っているという点に魅力をを感じたことが決め手でしたが、入所してからもやはりその強みを感じながら、日々、多くの渉外案件を担当しています。
今、どのような業務をされているのでしょうか
現在は、IP/ITグループに所属し、主に知的財産・情報通信の分野と独占禁止法の分野の業務を取扱っています。 ライセンス契約交渉は担当する業務分野の一つです。具体的には、国内のクライアントの海外の事業者とのライセンス契約交渉をしたりしています。そのような場合、先方が日本に来て数日間集中的に契約交渉をしたり、時差の制約がある中で電話会議を設定し夜中まで契約書の文言を詰めたりします。英語での交渉が大変という部分もありますが、自分が中学から勉強してきた英語をここで活かせていると実感するので、やりがいのある仕事です。
契約交渉においては、ビジネスのビジョンを聞き取り、そのニーズにあった契約内容を作り、機能するような契約内容にしていくのですが、それもこの業務の面白いところで、弁護士としての腕の見せ所だと思います。そうやって自分が作った契約書等の文章に従い、実際にビジネスが支障なく動いているのを見ることができると、それまでの多少の辛いことは一気に吹き飛びます。
IT分野では特に、これまでなかった新しいビジネスが次々と生まれます。海外で生まれたビジネスをさらに日本で展開するという場面においてサポートすることも主要な業務の一つなのですが、そういった場合も、海外法と日本法と違うことは多々あるので、そのまま持ってくることもできません。たとえば、アメリカのシリコンバレーの会社がエンジニアを雇用する際、会社で行った発明については、全て会社に権利帰属することとするという条項が書かれている契約を締結することがあります。しかし、日本の特許法では職務発明の範囲でなければ、そのような移転について予め合意しておくことはできませんし、かつ、職務発明に対して、適正な対価・利益を取得させなければなりません。単純に先行する外国の手法を踏襲していいわけではなく、日本法に基づき、しっかりとアドバイスしなければなりません。新しいビジネスのサポートは、先例がない難しさはありますが、それを自分で考える面白さがあります。
留学経験について教えてください
シアトルにあるワシントン大学のロースクールに1年間留学しました。
アメリカのロースクールには、たいていの場合、J.D.とLL.M.という二つのコースがあり、私を含め、日本からアメリカのロースクールに留学する弁護士の多くはLL.M.に行きます。アメリカ法について知ることができるのはもちろん、各国から同じ志を持った同級生ができるというのも留学の醍醐味の一つです。そうしてできた友人たちとは、今でもSNSでつながっていたりもします。
ロースクール卒業後、ニューヨーク州の司法試験を受験し、所属事務所の東京オフィスに復帰しました。留学後の現地オフィスでインターンはあるのかと学生の方にはよくお尋ねいただくのですが、そういったことはせず、直ちに東京オフィスに復帰することになりました。復帰後は、海外オフィスと協働して仕事をすることが留学前と比べてもさらに増えています。余談にはなりますが、今後は、留学直後ではなく、留学後さらに日本で経験を積んでから海外で執務するというパターンも増えてくるのではないでしょうか。
英語の勉強はどのようにされたのですか
昔から英語は好きでした。もっとも、在学中は英語を勉強するような時間はなかなか取れませんでしたが、そこにある機会はなるべく活かそうとしていました。例えば、選択科目で英語を使う機会が多そうな授業があればそれを履修したり、英語のドラマを見たりなどです。ただ、TOEICは在学中も1年に1度程度受けるようにはしていました。
私が法律分野で英語を使うときに特に注意にしていることは、二義を許さないこと、つまり意図している内容と異なる意味にとられることのないようにすることで、そのために慎重に言葉を選んでいます。そういうことを判断するようため、私は契約書の文言の文法構造を慎重に読み取るようにしていて、この点はTOEICの勉強も通じるものがあると思います。表現については、実務について学ぶ部分が多いかと思いますが、文法については、今まで勉強してきたことをマスターすることが大事です。帰国子女ではない、受験英語しか知らない、と卑屈になる必要はありません。私自身も留学でシアトルに行くまで長期の海外経験はありませんでした。それでも文法をきっちり知って大切にすることで、十分貢献することができたと思っています。
ロースクールの授業で印象に残った授業はありますか
どの授業も印象に残っていて、しぼるのは難しいですが、国際的な案件を扱いたいと思っていたので、齋藤彰教授のヨーロッパ法と国際取引法の授業には大きな影響を受けたと思います。
外国人の先生を呼んで、授業をしてくださったことがたびたびあって、また、生の英文の契約書に触れることができました。ロースクール中に法が実際に使われているという実感をもつことができたのが良かったです。
当時、自分の英語力に自信はなかったですが、先生に質問をぶつけたり、議論に参加したりしたことも非常にいい経験になりました。
先ほど、知的財産法と独禁法を中心にされているとのことでしたが、ロースクールで学ばれたことがきっかけだったのでしょうか
知的財産法は、司法試験の選択科目でした。しかし、司法試験における選択科目であったということが必ずしも現在の取り扱い分野であることと直結しているわけではありません。
大学時代、サークルでストリートダンスをするなど、音楽が好きでした。またITについてはちょうどインターネットが普及する過渡期で、興味がありました。大学に入学してすぐに、馬場健一教授の法情報論という授業で、法律の業務をしていくにあたってITをどう活用していくか検討したり、実際に自分でホームページを作ってみたりする授業がありました。これらのことを通して、コンテンツと法律の関係を意識する中で、学部で島並良教授の無体財産法と題された知的財産法の講義を受講し、音楽やソフトウェアにも法律で保護の枠組みが与えられていると知り、もっと深く知った方が、音楽やITを楽しめると思ったのでした。ロースクールに進学後も引き続き知的財産法を選択しました。
事務所に入所後1年目はローテーションで各グループを回ったのですが、いろいろな業務を見ていくなかで、やはり知的財産やITの仕事が一番面白かったので、今のグループを希望し、配属され、今に至っています。
独禁法は泉水文雄教授の経済法Ⅰをロースクールで受講して学びました。現在の業務でも、ライセンス契約が必要以上の制約を課す内容になっていないかなど、知財とクロスオーバーする部分があります。また、学術的な部分だと、FRAND原則に関する知財高裁大合議事件の判決のような重要な動きがあると、内容を検討し、その情報を国内外に発信したりしています。
実務では、その業務で必要な部分一点に限って勉強することがどうしても多くなってしまいます。その点、ロースクールでは関連制度、背景を含め、全体を通して勉強しておく機会があったのが良かったと思います。そういった全体を俯瞰する中で概念を理解しておくというのが大事なことがあります。例えば、エクスクルーシブ・ライセンスという言葉があり、ネットの簡単な辞書だと、専用実施権と翻訳されています。しかし、契約書で出てきた場合、もちろん専用実施権の場合もありますが、独占的通常実施権という意味で使われている場合もあり、文脈に応じて訳さなければなりません。その時に、限られた範囲の、いわば付け焼き刃的な知識だと誤訳してしまうリスクがあります。背景を含め全体像を理解し、複数の似た概念の違いを把握しておくことは、そういったリスクを減らすことにもつながると思いますし、専門家としての価値になる部分ではないかと思います。
将来の目標を教えてください
クライアントに信頼してもらえる弁護士になろうというのは、企業法務を目指したときから変わりませんし、これからも変わらない目標です。これまでに一緒にお仕事をさせていただいたクライアントや上司・同僚からは、英語を使って契約交渉してくれるとか、個人情報保護法についてはわかってくれているなどといったイメージは持ってもらえているかと思います。クライアントにそう思ってもらえる分野をできるだけ広げて、期待に応えられるような弁護士になりたいです。
弁護士の業務の分類の仕方の一つに、紛争解決と予防法務という分け方があります。かつては弁護士と言えば紛争解決が仕事であると考えられがちでしたが、私は弁護士を志した当初から、予防法務もしっかりしたいと考えていました。何らかのアイデアを実現したいが、ルールがわからないからできない、ルールを知らないがために、必要以上のリスクを背負わなければならない、という部分を避けてあげたいと思っています。法律がバリアになっている部分を取り除く仕事をしたいという思いをずっと持ってきましたし、クライアントからも、それをしてくれる弁護士であると思ってもらえるようになりたいです。
国際的に活躍したいと考えている後輩たちへのメッセージをお願いいたします
国際的な弁護士業務のニーズは継続的にありますし、今後ますます広がると思います。日本での国際的な業務といえば、特定の国とのビジネスが突出して多かった時期もあったと聞いていますが、今は特定の国に限らず、世界中との取引になっていると思いますし、また、そういったことをサポートできる日本人弁護士は必要だと思います。ロースクールでの勉強は、そのような業務につなげていけるものだと思いますし、ロースクールで、実務に出る前の段階で、国際的に活躍されている実務家の話を聞ければ、自分が納得してキャリアを進めていくことにもつながるでしょう。
神戸大学は教育が充実していると認知されているのみならず、国際的な研究・教育に力を入れている大学としても認知されていますます。卒業生も、関西はもちろん、東京を含め日本中で、さらには海外で活躍されている方がたくさんいるので、そういった方の後に続く人材が出てほしいなとも思います。東京でのサマージョブはもちろん、海外でのエクスターンなどにも積極的に参加するなどして、身近にある機会を存分に活用してください。
ありがとうございました。さらなるご活躍を期待しています。
インタビュー実施日:2016年6月16日
インタビュアー及び記事編集者:山代有里沙