大学院の歩み

弁護士の多様性 ~カンボジアの再建~

篠田 陽一郎 さん

第4期修了生
JICAカンボジア民法・民事訴訟法普及プロジェクト長期専門家・弁護士
弁護士法人新潟第一法律事務所


ご経歴
1977年 新潟県上越市生まれ
1996年 新潟県立新潟高等学校卒業
2001年 明治大学政治経済学部政治学科卒業
2001年 株式会社トーメン(現・豊田通商株式会社)入社
2009年 神戸大学法科大学院修了、司法試験合格、最高裁判所司法研修所入所(新63期)
2010年 弁護士法人新潟第一法律事務所に入所
2014年 名古屋大学大学院法学研究科特任講師・在カンボジア日本法教育研究センター勤務
2016年 JICAカンボジア民法・民事訴訟法普及プロジェクト長期専門家


今回は国内での弁護士業だけではなく、JICA(独立行政法人国際協力機構)の法制度整備支援プロジェクトの長期専門家としてカンボジアで活躍されている篠田陽一郎先生にお話を伺いました。一国の法制度の整備に関わるという重大な仕事について、実際の仕事内容ややりがい、現地での暮らしの裏話など、興味深いお話を聞かせて頂きました。国際的に活躍したい方のみならず、今は興味ない方も是非目を通していただければ幸いです。

商社へ勤務後、なぜ神戸大学のロースクールに進学されたのですか。

当時勤めていた会社が吸収合併されることになり、このままこの会社で働いていて良いのかと将来について考え、もう少しいろいろなことを勉強したいと思ったんです。そして、当時、ロースクール制度が始まって間もなく、ロースクールへの社会的な注目も高かったですし、また、商社での経験もあり、法曹に魅力を感じました。そして、たまたま縁あって神戸大学のロースクールに進学することになりました。

入学後は法学に心惹かれ、とにかく勉強していましたね。私は、大学時代、ほとんど勉強しなかったのですが、法学の勉強はとても楽しかったです。しかし、当時は、判例を読むことには本当に苦労しました。同じ日本語なのかと疑うほどでした。そのような未修入学で全くの初学者だった私でも、神戸大学の素晴らしい教授方の丁寧な教育と優秀な同期に囲まれ、法学に対する理解も進んだのだと思います。

その後弁護士として勤務後、なぜカンボジアへ行かれたのですか。

司法修習終了後は、故郷の新潟で弁護士として3年半ほど勤務していました。この事務所は、一般的な民事事件などを取り扱ういわゆる街弁の事務所で、海外の案件などはほとんどありませんでした。唯一、海外との関わりといえば、日本に住む外国人の支援を行っていたくらいです。しかし、私は、海外での仕事に興味があったため、JICAが毎年夏に開催している法整備支援の能力強化研修に参加し、実際に海外で法整備支援に携わりたいと真剣に考えるようになりました。その後、名古屋大学大学院法学研究科特任講師としてカンボジアの王立法律経済大学にある在カンボジア日本法教育研究センター(CJLカンボジア)において、日本語で日本法(日本国憲法や日本民法の基礎など)を教えるという仕事をしました。そして、名古屋大学退任後、今年の4月からJICAの長期専門家としてカンボジア民法・民事訴訟法普及プロジェクトに従事しています。

現在カンボジアではどのようなことをされているのですか。


名古屋大学在カンボジア日本法
教育研究センターの学生達と

カンボジアでは、1999年から、JICAの支援により民法・民事訴訟法の起草が始まり、2006年に民訴法、2007年に民法が成立し、その後、2007年に民訴法の適用開始、2011年には民法の適用が開始されています。この民法・民訴法の起草プロジェクト(カンボジア法制度整備プロジェクト)に加えて、2005年からカンボジア裁判官・検察官養成校民事教育改善プロジェクトが、また、2007年からカンボジア弁護士会司法支援プロジェクトが開始され、民事法の普及と民事法教育体制の支援が行われて来ました。そして、2012年、法制度整備プロジェクト、カンボジア裁判官・検察官養成校民事教育改善プロジェクト、弁護士会司法支援プロジェクトが一緒になる形で、現在の民法・民事訴訟法普及プロジェクトが開始されました。※

現在の民法・民事訴訟法普及プロジェクトでは、民法と民事訴訟の理解を促進し、普及を図るため、司法省、弁護士会、王立司法学院(裁判官等養成校)、王立法律経済大学をカウンターパートとして、それぞれワーキング・グループを作り、民法や民事訴訟法に関する議論を行っています。なお、私が使用する言語は、日本語か英語であり、それをプロジェクトのスタッフがクメール語に翻訳してくれます。そして、このワーキング・グループでの議論をもとに、各カウンターパートにおいて、セミナーを開催し、または出版物を作成するなどして、ワーキング・グループ以外の法律家にも民法・民事訴訟法の知識が行き渡るように努力しています。

それ以外にも、民事法に関係する法律の起草の支援や相談に応じることなども行っています。

※カンボジアは、ポル・ポト政権下にあった1975年4月から1979年1月までの間に、それまでの法律・制度が徹底的に廃止・破壊され尽くし、知識層、知識層とみなされた人々が虐殺され、ポル・ポト政権前後の内戦時代を含めると、170万~200万人が死亡したといわれています。その後、政情が安定し1993年に民主化しましたが、人材不足のため、自力で法制度を整備できる状態ではありませんでした。そこで、カンボジア政府は、隣国ベトナムで民事系の法制度整備を支援していた日本に対して、民法、民事訴訟法などの基礎法整備の支援を要請し、これを受けてJICAでは1999年3月から、カンボジア司法省を実施機関として、法制度整備プロジェクトを開始、現在も継続しています。(JICAホームページより)

カンボジアで苦労したことなどありますか。

これは、名古屋大学のCJLカンボジアにいた頃の話ですが、学生と話をしていて気になるのは、この世界にはいろいろな価値があって、それに基いていろいろな考え方があるということをなかなか分かってくれない点です。それとともに、あまり考えずに答えを教えて下さいというのが気になります。カンボジアでは、ポル・ポト時代が終わってから、現在の与党がずっと政権を握っています。このような政治体制や教育制度のもと、お上が言うことが唯一正しいという考え方が染み付いて、自分で考えるということが少ないような気がします。もちろん、すべての学生がそうだというわけでもないですが。

また、CJLでは、学生が日本語で法学(比較法)の論文(学年論文)を書くことになっています。学年論文を書くのは、3年生ですから、日本語を2年半くらいしか学んでいない学生が、日本語で、しかも法学の論文を書くわけです。これらを確認して、修正のアドバイスをするのですが、これは骨の折れる仕事でしたね。しかし、中には内容面や論理面ではしっかりとしたものあって、苦労したのと同時に教え子たちの成長が嬉しかったです。

カンボジアの法律家は、今でこそ1000人ほどに増えましたが、ポル・ポト時代の虐殺により法律家は数名しか生き残れなかったという話です。今、法律家として活躍している人の多くは、ポル・ポト時代の後に決して十分とはいえない法学教育を受けた人たちで、その実力には個人差が激しいです。専門家でもこのような状況なので、カンボジア全土に法制度を広めるにはまだまだこれから時間がかかりそうです。そして、国民も裁判所が何をやっているのかあまり理解しておらず、また、汚職などの問題から裁判所自体を信用していないのが現状だと思います。 なお、プノンペンでの生活は、イオンモールなどもありますし、食事も辛くなく日本人にはあっていますので、そんなに大変ではありません。治安も、プノンペンだったら大丈夫だと思います。場所などを間違わなければ、夜でも出歩くことはできますね。ただ、地方に行くと、未だに山賊が出る地域などがあるらしく、気をつける必要があります。

法整備支援のやりがいは何ですか。

他国の支援は、法整備支援として法律の起草だけ支援して、後は現地に任せるというスタイルが多いですが、JICAではその後の法制度の普及まで支援するのが特徴です。そして、現在は、各カウンターパートでワーキング・グループを開催し、民事法を適切に運用できる人材の育成を行っています。また、名古屋大学のCJLが行っている法整備支援は、法学教育の支援であり、その国の法整備の中核となる人材の育成を目指しています。このような人材育成などを通じて、その国の司法制度自体の形成に携わり、未来へ繋げるという実感があり、やりがいは大きいですね。また、その国の将来を担うべき人物と仕事をしていると考えると感慨深いものがありますね。

なお、個人的なことですが、昨年、CJLカンボジアの学生が一人、国費留学生として、神戸大学大学院法学研究科の修士課程に進学し、窪田充見教授にお世話になっています。彼が進学したのは、ロースクールではないですが、カンボジアの教え子が母校・神戸大学に進学するのはとても嬉しかったです。

これから神戸大学ロースクールに入学しようとする学生にメッセージはありますか。

弁護士としての仕事といえば訴訟をすることなどあり、それはそれで非常にやりがいがあるものです。しかし、それ以外にもその知識や経験を活かせるいろいろな仕事があると思います。その中で、私は、法整備支援の分野で頑張っていこうと思いました。それ以外にも、現在、弁護士の職務領域はどんどん広がっています。自分の興味があることを見つけ、それにどんどんチャレンジしてもらいたいです。

ありがとうございました。さらなるご活躍を期待しております。
インタビュー実施日:2016年5月29日
インタビュアー及び記事編集者:神田詠守
写真撮影協力 小田部誠一
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